鹿島の祭頭祭(茨城県鹿嶋市 鹿島神宮)

1984.03.09 撮影 Olympus OM-2,OM-4

 

「さいとうさい」と読みます。

1976.12.25(昭和51.12.25)記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に指定された。所謂、国選択無形民俗文化財である。民俗芸能・風流に分類されている。

 

日本の祭りの衣装は、なんてカラフルなんだ、といつも思う。特に東日本のほうは。

ちょっと露出を落としすぎたかな。

 

祭頭祭は、鹿島神宮の祭礼行事のなかでも、もっとも規模の大きな祭典であるそうだ。


写真のとおり、囃し行列が勇壮な棒踊り(?)をしながら町を練り歩く。昔からいくさの神としての鹿島神宮から、戦に纏わる行事のように思われるけれど、祭りが終わると、田植えなどの農作業が徐々に始まるような時期でもあるから、おそらくは五穀豊穣・天下泰平を祈る祭の一種なのだろう。

祭頭祭のあと、ここには掲載していないが、甲冑に身を固めたこどもの大総督が大黒頭巾を被った人に肩車されて両字の人々と正午前から巡行をはじめる。大総督は一度も地に足をつけない。これは他の祭り・神事でもそうだが、こどもに神が憑く、あるいは神になるからである。


囃し人は、これも写真にあるように、赤・青・黄色・緑など色とりどりの色鮮やかな襷をかけ、キャラクター人形やミッキーマウス、鈴などを背中に背負っている。囃し人は、太鼓を腰に付けて叩く人の周りを囲んで「鹿島神宮祭頭歌」を歌いながら長さが六尺の樫の棒を組んだりほぐしたりする。さすがに大人は、ミッキーマウスを飾りつけていない。

 

余談だが、鹿島神宮は延喜式内明神大社・常陸国一の宮・旧官幣大社で、向かい側には香取神宮延喜式内明神大社・下総国一の宮・旧官幣大社がある。お互いの距離は直線にして13km。位置的には、北東と南西。

祭神は、共に天孫降臨に先だって葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定した神として知られ、軍神として名高く、大和朝廷の東国平定に大きな役割を果たしたと言われている。

この狭い地域に、神宮と名のつく神社が2つもあり、同じように要石(かなめいし)がある。なんか歴史の秘密を感じるよね。

 

2011.2.5 記

最近(2022.06.01)、高田崇史氏のQEDシリーズ最新刊「神鹿(しんろく)の棺(ひつぎ)」を読んでこの祭頭祭に対する考え方が変わった。

 

というかQEDを読み始めてから、日本の祭りに対する考え方がすっかり変わってしまった。

そもそも祭りとは何か、である。

1000年も2000年も前の祭りが連綿として続いているのである。

 

少なくとも鹿島神宮は鹿島神宮単独で語られるのではなくて、香取神宮・息栖(いきす)神社を合わせてセットで考えないといけない。

 

このQEDを読んでみて、もう一度出掛けてみたくなった。

40年前と違った風景が見えてくるに違いない。

 

2022.06.12 記

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