1986 撮影 Olympus OM-2,OM-4
海陽町無形民俗文化財
実は、この太刀踊りは私が見に行った民俗芸能の中でも一番印象に残っているものである。
その理由は、撮影日が不詳なのではっきりとしないが、多分お盆の頃だったと思うが、やっていると思って見に行ったら実はやっていなかったのである。
では何故写真があるのか。
船津に辿り着くと、太刀踊りをやりそうな気配がどこにもないので、その地区のおばあさんに尋ねたところ、最近は舞台以外ではやっていない、という。
思わず「え~っ」状態である。
で、仕方なく帰ろうとするとどこから来たのかと尋ねられたので、○△□から来たというと、それはまた遠いところからわざわざ。
そうすると、そのおばあさんが地区の人に声を掛けてくれて、音頭取り2人、踊り手2組4人総勢6人が、わざわざ何の資格もない単なる写真撮りの私一人の為に踊ってくれたのである。これは感激しない方がどうかしている。
結局地区の人たちも集まってきて、せっかくだから久しぶりにやってみるか、ということになったらしい。
祭りなどを見に行くと、最近はやってないよ、というのに度々ぶっつかる。
大体は「ああ私の調査不足・・・」ということで、そのまますごすごと帰るのが普通である。
ま当然と言えば当然。
ところが船津は違ったのである。今から20数年前の話である。
太刀踊りは、お隣の高知県には沢山あるが、徳島県ではここと那賀町(旧木頭村)の2つしか私は知らない。
ここの歴史的な発祥の経緯については、別のサイトをご覧いただくとして、ざっと説明すると
屋島の合戦に敗れた平家の武将、河内助右衛門が、この地に逃れてきて居所を定め船津地区の庄屋としてここに住んだ。
源氏の追手が来るかをおそれ、開拓のひまをみて、太刀を振って一族郎党の訓練を行い、毎年盆の三日間は亡き主人通盛(平教盛の長子)を始め、一族の法要を行いその霊を弔った。
この時、日頃の訓練の成果を仏に手向け、霊を慰めた、というのが船津太刀踊りの発祥といわれている。
現在、お盆の時期にやっているかどうかは不明。
2011.07.04 記
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