綾子舞 (新潟県柏崎市女谷 黒姫神社)

1983.9.15 撮影 Olympus OM-2,OM-4

 

国指定重要無形民俗文化財(1976.5.4登録)

柏崎市女谷黒姫山の麓の高原田、下野に伝承され、女谷の黒姫神社の祭礼(九月十五日)に演じられる。踊り、囃子舞、狂言の三種に分かれ、踊りには「小原木 踊」「堺踊」「常陸踊」「こきりこ踊」など、囃子舞には「恵比寿舞」「大黒舞」「亀の舞」など、狂言には「海老すくい」「三条小鍛冶」「朝比奈」など三十 余曲がある。特に踊りは長いたもとの振袖にだらりの帯、ユライと称する赤布を頭にかぶった少女(もとは青年の女装)の舞踊で、初期歌舞伎踊を知る上に重要 であり、また囃子舞、狂言も芸能史的に価値が高い。(文化庁国指定文化財等データベースより)

 

綾子舞のホームページに

◆綾子舞の現地公開は、毎年敬老の日(9月15日=黒姫神社秋季例祭)に行われていましたが、
国民の祝日に関する法律の改正により、敬老の日が不定期になりました。
これに伴い 9月15日に実施していた綾子舞現地公開は2004年度より
「毎年9月第二日曜日」に変更されることになりました。

とありました。

 

まあだから、綾子舞自身は黒姫神社の祭礼行事ではないということになるな。

 

6畳ほどの広さにしつらえた舞台の上で踊るのである。舞台は神社と御神木である樹齢千数百年ともいわれる老杉との間に設けられ、ここで大太鼓、締太鼓、6穴の篠笛、鉦の囃子で舞う。

 

撮影に行ったときに、今踊っている子供たちがいなくなると過疎化で舞手が居なくなる、と言う話を地元の人が話していた。下野(しもの)組が3人一組、高原田(たかんだ)組は2人一組、それも高校生までで終る。県外就職で去ってしまうだからそうで、心配はしていたのだが、私が撮影に行ったあと、暫く途絶えていたようだ。

再び復活していることは、よかったなあ。綾子舞のホームページもあって、盛んに活動し伝承していこうとしているようである。

 

踊り、囃子舞、狂言の3つを合せると綾子舞”の演目は60近くあるそうだが、そのうち、今演じることの出来るのは「小原木踊」「小切子踊」「恋の踊」「常陸踊」など6つだそうで、私が見たのは「小原木踊」「小切子踊」「常陸踊」と、狂言の「三条小鍛治」。

狂言は「三条小鍛治」「佐渡亡魂」「龍沙川(りゅうさがわ)」「海老すくい」など10、囃子舞は「恵比寿舞」「亀の舞」「指鳥舞」「猩々舞」など7つで、合計23演目があるそうである。

 

綾子舞の由来と伝承に関する言い伝えはいくつかあるそうで、下野と高原田では異なっているようだ。

下野の言い伝えは四つ。

一つ目は、舞台が畳三枚の狭さで足を”あや”にして踊るからという説。

二つ目は、小道具に小切子(こきりこ)”あや竹”を持って踊るからという説。

三つ目は、14歳か15歳の少女(やや子)が踊るからという説

四つ目は、越後の守護職・上杉房能(ふさよし)奥方・綾子の方が、ここ旧鵜川村女谷で伝えた形見の舞が綾子舞であるという説。また一説には、綾子は房能が京からともなってきた白拍子であったともいう説。

 

高原田での伝承は

「小切子踊」の説を取り上げ、菅原道眞公が太宰府に流された折の説。

道眞の侍女の一人である文子(あやこ)が、別れの舞を舞おうとしたが手元に扇がなかったので、橋のたもとに落ちていた竹の小切れを持って踊った。ここからあや竹を持って踊る「小切子踊」がうまれた。“文子舞”が“綾子舞”になり、往古女谷に落ち延びて来た北面の武士、北国茂太夫が京の都から伝えたというもの。

 

いずれにしても、おおよそ500年の伝承となる。

 

私が聞いたのは、綾子白拍子説。多分この説が私としては、一番頷けるし、綾子舞の由来に相応しい気がする。文子説だと、綾子舞が他の地にも伝わって居なければいけない気がするからだ。

「小原木踊」「常陸踊」は、赦免地踊でも演目としてあるので、風流踊りとしては京都を中心として存在していたのだけれども、それらを総称して「文子舞」とは言われていない。

 

都(みやこ)で風流踊りが流行ったのは、室町時代の後期から江戸時代の初期頃までだと言われている。室町時代の定義は、捉え方によって異なるが仮に1500年頃だとしても、500年前になり、「綾子踊」の成立時期と一致しないことはない。

 

とすると、綾子白拍子説が正しいのでは、と素人考えに思うわけです。

 

綾子舞のうち、踊りは高原田は少女二人、下野は三人によるのを常とし、いずれも頭にユライと呼ばれる赤布の特殊なかぶりものをし、その一端をうしろに下髪のように長く垂らします、長い袂の振袖、だらりの帯たぐり、白足袋のしたくに、手に扇をもち、足拍子を踏んで踊ります。特に中腰になっての舞姿や、独特の手さばきは、古典的な美しさをもっております。

 

とあるので、私が見たのは高原田のもの。

 

ここの場所は、柏崎駅から国道353号を16Kmばかり南下するのだが、行きはバスを使ったと思うが、帰りは、適当な時間のバスがなかったようで、最寄りの駅まで歩いて行くつもりだった。が、撮影に来ていたプロカメラマンが車に載せて柏崎駅まで送ってくれたと思う。

ここだけでなく、他の場所の撮影のときも、結構、カメラマンの皆さんの車に同乗させてもらった。あのころは今と違って、こんな辺鄙なところにまで撮影に来ている私を同好の士と思ったのだろうか。感謝である。

 

今はかなりの人が押しかけるようだ。

 

2010.9.8 記

Google マップは現在の Cookie 設定では表示されません。「コンテンツを見る」を選択し、Google マップの Cookie 設定に同意すると閲覧できます。詳細は Google マップの[プライバシーポリシー]をご確認ください。Cookie の利用は、[Cookie 設定]からいつでも変更できます。