飛騨古川祭り

1980年4月18~20日

古川祭の起し太鼓・屋台行事 国指定重要無形民俗文化財(1980.01.28指定)

 

 今回程の強行スケジュールも珍しいだろう。本当は、金曜日と月曜日を休暇にして行くつもりが、仕事の都合でパア。古川祭りは夜の10時から未明まで、というので徹夜で頑張るつもりで宿の手配をしなかった。そんな訳で服装は2月と同じで、今度こそは懐炉が必要だと思った。

 この日の大垣行きの普通列車は空いていて、2座席占有できて幾分寝られた様な気がする。

 

 古川祭りのも高山祭りと同じように屋台が出るが、雨が降りそうだと言うので、屋台の提灯に灯が入らず、夜の華やかな姿が観られず残念であった。

 起こし太鼓が一ノ町を通過するとき、蝋燭屋さんの向かいのお家のおばあさんが親切にも、私がカメラを持っていたので脚立を貸してくださった。この町の人は皆親切だ。

 

 結局徹夜体制であったが、1:27の名古屋行きの急行と3:59の富山行きの2本の列車があり、起し太鼓は2時頃までであったので、名古屋行きの列車で東京に戻ることにした。

それでも、朝11:00頃に古川に着いてから1:00頃まで殆ど歩いてばかりで、非常に疲れた。

 夕方頃になると、献燈の提灯が各家の前に立てられ、それらに灯が灯され美しい景色を呈する。白壁の土蔵街にも雪洞が点いた。この古川の町が、この小さな町が祭り一色になる。なんか非常に不思議な気がした。

 蝋燭屋さんのある一ノ町の提灯には和蝋燭の灯っている提灯が多い。西洋蝋燭の灯と和蝋燭の提灯の灯は外から見て一目で分かる。和蝋燭は息をしているように灯が動くのであるが、西洋蝋燭は動かないのである。

白い蝋燭は3周忌まで、7周忌からは赤い蝋燭で、1月1~3日と春と秋のお彼岸には赤い蝋燭を灯す。

起し太鼓その前衛には高張と提灯の行列が続く靜と動のコンビネーションで、是非一度見てみるべきである。数河獅子も見たし、観光客は私の感じでは、どうみても2000人程度しか見られなかった。

 

国の重要無形民俗文化財に指定されて、最初の祭りを見に行ったわけで、だから写真のような錦の旗を作って誇らしく先頭を行っているのだろうか。

 

一部ピンボケの写真があるが、ご勘弁を。全体的に暗いのも勘弁してね。

 

 起し太鼓は、本楽祭【ほんがくさい】の開始を知らせるためのものともいわれているが、大太鼓を据えた大きな櫓を大勢の半裸の若者がかつぎ、大太鼓の上にまたがった二人の若者がこの太鼓を交互に逆手で豪快に打つ。町を巡行する時に、小太鼓を持った附太鼓の連中が、各町内から出てこの大太鼓に押し寄せる。大太鼓と附太鼓の鬩ぎ合いは男性的で、三大裸祭りのひとつだったと思うが、木の棒の天辺で祭りの男が「古川ぜんぜのこ」という民謡を唄うのだが、やはり現地で生で聞くのはいいねえ。

 

高山祭りと同じように屋台も出る。 

 

 ここには、もう一つ「三寺まいり」という風習があるのだが、これに行ってみたいと思っていたが、残念ながら未だもって実現していない。

飛騨古川に、300年以上も前から続く独特の伝統風習で、毎年1月15日の夜、町内の3つの寺、円光寺・真宗寺・本光寺を詣でる。

 

 雪化粧の古い町並みが幻想的になるんだろうな。雪の積もったそばを流れる瀬戸川と白壁を照らす雪洞の揺れる灯火、絵になる、と思うが、最近はかなりの観光客が訪れているみたいだ。

 

 高山より観光客も少なく、白壁の土蔵など風情に溢れた静かで落ち着いた町だ。好きな町である。

 

尚、和蝋燭屋さん三嶋さんについては、「39 飛騨冬の旅」で書くつもりなので、ここでは書かない。

 

2010.9.23 記

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