1983.01.16 撮影 Olympus OM-2,OM-4
ここの場所がどこかというと、実に分かりにくい。
幟には螺鳴嶋神社(ほらなりじまじんじゃ)とあるが、ここには鶴樹神社しかない。
この写真ではわからないが、4枚目の写真の小太鼓を打って囃している女達の法被には椿島梯子虎舞の文字がある。
まあ結論から言えば、昔は椿島のことを「ほならりじま」といっていたらしい。で、そこにあった神社をかなり昔に陸に移したらしい。
が、
陸前高田市広報誌2006年(平成18年12月1日号)によると
鶴樹神社は弘仁年間(809~822)、真言宗開祖の空海(弘法大師)が巡錫の折り、この鶴樹の地に祠を建て、弁財天の木像を安置したのが創始とされています。さらに、仁寿年間(851~854)、慈覚大師が螺鳴島(ほらなりしま)に上り、弁財天の祠を建てて鶴樹神社の祠から遙拝するよう定めたと伝えられています。
昔は椿島のことを「螺鳴島」と言ったそうだ。大小の岩礁に囲まれたこの島はその昔、潮の出入りによって一種独特の音色を響かせていた。それを耳にした村人は、貝殻から発するものと信じ螺鳴島という名前を付けた。今でも地元民は「けぁなり(螺鳴)」と呼んでいるそうだ。
根崎虎舞は寛政年間(1789~1801)にこの地に伝承されたといわれ、約五十度の傾斜で立てられた長さ約二十メートルの梯子の上で、曲芸的な踊りを舞います。正式には「風流唐獅子曲乗りの体」と言います。
同虎舞は市の無形文化財にも指定されており、地元鶴樹神社の例大祭で奉納される。
とあることから、鶴樹神社=螺鳴嶋神社ではないということになる。
この広報誌のとおりだとすれば、螺鳴嶋神社は今でも、椿島にあるということになる。
ここ鶴樹神社例大祭は10月で、4年に一回の根崎梯子虎舞の奉納が行われるようなのだが、何故1月の撮影日付なのかは不明。(間違っていないと思うが)。
このときは虎舞の名人と言われる人の最後の舞だ、という話を聞いた。
長さ20m、傾斜角50度、地上高20mの梯子の先端で舞われる虎舞は結構スリルがある。
何故虎なのか。日本全国的には獅子舞が一般的ではあると思うのだが、東北のこの辺あたりだけに虎舞があるようなのだ。虎=獅子なのか。興味深いねえ。
この時写真を写して上げたお返しに、「ふのり」というものを送って戴いた。
乾燥した状態では、赤紫色の海藻であるのだが、味噌汁の具としていれると、途端に綺麗な緑色になる。その変化に驚いたものだ。一時期この「ふのり」に嵌まってしまった。
2010.12.31 記
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